インドネシアは世界一の親日国だった

まずはこの表をご覧いただきたいです。


国民のおよそ85%以上が日本と言う国が好きだと答えています。そして日本語学習者が多い国でもASEANでも最も多く、ASEAN全体の約10倍ということです。ではなぜインドネシアの人は日本人が好きなのか?それは歴史が大きく関わっています。

インドネシアが以前は、オランダと日本の植民地であったことはご存じだと思います。それでは、1945年8月17日にスカルノ大統領によって独立宣言が発表された後に、再び独立戦争が起こりました。

時は1945年8月17日。約340年間のオランダによる統治(1602年~1942年)と、45年までの約3年間の日本による統治の後、8月17日にスカルノ大統領はやっと独立宣言を発表しました。国民が待ちに待っていた日です!ちなみに、日本は8月15日に無条件降伏をしています。降伏をした2日後にインドネシア独立を認めたわけです。町中ではお祝いムードで一色でした。

しかし、それを喜ばなかったのがオランダです。再びインドネシアを植民地化しようと乗り込んできたのです!一度独立宣言を行なったインドネシアでしたが、オランダ相手に戦わざるを得なくなったのです。
オランダ VS インドネシア。インドネシア側は独立宣言後に発足した正規軍だけではなく、各地から集まった非正規軍も参加しました。そして、さまざまな手を使ってオランダに立ち向かいました。『一度独立を宣言したのに、なぜ再びやってくるんだ!』という怒りと、『絶対に再植民地化されないぞ!』という強い信念の2つの感情が存在していたと思います。

それに共感し協力したのが、軍籍を離脱した一部の日本人約3000人なのです!彼らもこの独立戦争の最前線まで行ってオランダ軍と戦いました。

最終的には、1947年8月1日、国際連合安全保障理事会にて停戦及び平和的手段による紛争解決が提示され、オランダはインドネシアの再植民地化を諦めたのでした。

この独立戦争で命を落とした日本人は約1000人と言われています。

オランダによる再植民地化を防ぐために一緒に戦ってくれた日本人。インドネシア政府は感謝の意を込め、独立戦争で命を落とされた日本兵約1000人をジャカルタ南部にある国立英雄墓地(カリバタ英雄墓地)に丁重に弔いました。

アセナビ

この出来事がきっかけで親日国になったとされています。また、「インドネシア建国の父」として国民に慕われているスカルノ元大統領が大の親日家であったことも影響しているのではないかといわれています。

この歴史の出来事だけではない。 2016年の外務省の調査によると、「日本を信頼できる」理由として、第一に「ODAなどによる経済的貢献」が挙げられていることから、日本が長期にわたって最大の援助国であり続けてきたことが親日感情につながっているといわれている。

実際にインドネシアに行ってみると、日本語で笑顔で話しかけてくれる現地の人はすごく多いです。日本人であるということだけでビジネスでの優位性が持てるのは事業を進める上でも非常にラッキーである。日本人でよかった
by きょくちょ~

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